多賀観光協会
歴史・ロマン・神秘の旅
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観光地情報

多賀大社(たがたいしゃ)

「お伊勢お多賀の子でござる」とうたわれるように、伊勢神宮の親神として知られる伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の2柱を祭神としている。古事記にも記録が残る。また、数多くの文化財や伝承を残す。
【住所】
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
【TEL】
0749−48−1101
【アクセス】
近江鉄道多賀大社前駅から徒歩10分、またはJR彦根駅からバス多賀町役場前下車すぐ名神彦根ICから10分
詳しい地図はこちら
【その他】
9時〜16時 境内自由「奥書院庭園」300円 春秋特別公開共500円
【ホームページ】
http://www.tagataisya.or.jp/
多賀大社 多賀大社

ふすま絵(ふすまえ)
(その他)
調馬厩馬図屏風(国重文)・三十六歌仙絵屏風(県指定)・梵鐘・参詣曼荼羅など
  ・奥書院庭園
(おくしょいんていえん)国名勝

天正十六年、太閤秀吉は米一万石を奉納し、母大政所の病気の平癒を祈りました。太閤橋や奥書院はその奉納によって築造されたと伝えています。
  かつて、多賀大社の別当であった不動院の奥書院に附属した、池泉観賞式庭園で正面奥に不動三尊石を組み鶴亀の出島を配し、枯れ滝の下には力感あふれる石橋を渡している。
ふすま絵   奥書院庭園

寿命石(じゅみょういし)
 平安の昔、東大寺の再建を命ぜられた俊乗坊重源は当社に参詣、二十年の寿命を授かりました。寿命石はその由緒を伝える石として、延命を祈る人が絶えません。
寿命石 寿命石

太閤橋(たいこうばし)
太閤秀吉が寄進した米一万石により築造。祭礼の折、神輿が渡る。
高くなっているのは、表通りから拝殿が見えないように目隠しのためである。
太閤橋 太閤橋

お多賀しゃくし(おたがしゃくし)
 元正天皇の病気に際し、当社の神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上。天皇はたちまち治癒されたと伝え、そのしでの木が現存する飯盛木で、杓子は「お多賀杓子」として有名です。
お多賀しゃくし飯盛木 女木

茅の輪くぐり(ちのわくぐり)
茅の輪くぐり 茅の輪くぐり
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胡宮神社(このみやじんじゃ)

 当社は敏達天皇の勅願とも言われ、多賀二座の一とも伝えられ、古くは青龍山頂の「磐座」崇拝にその起源をなしており、鎌倉時代には、天台宗敏満寺の鎮護の神として栄えた。48伽藍120坊の規模があり、浅井長政・織田信長の焼き討ちにあって衰退したが、1638年徳川家光により造営され復興を遂げた。三軒社流造りの県指定文化財。
  山腹には無数の石仏谷(国指定文化財)があり、それを下ると広大な宿坊舎跡が確認される。
【住所】
滋賀県多賀町敏満寺49
【TEL】
0749−48−1553
【アクセス】
近江鉄道多賀大社前駅から徒歩15分
名神彦根ICから10分
詳しい地図はこちら
【その他】
境内自由 特別公開「石造観世音立像」200円
胡宮神社(このみやじんじゃ)多賀町敏満寺 胡宮神社(このみやじんじゃ)多賀町敏満寺

・磐座(いわくら)
青龍山の山頂に磐座があり、山全体が神様という神体山である。磐座は磐境とも言い、奥宮のことである。
磐座 磐座
・銅製五輪塔(どうせいごりんとう)(国指定重要文化財)多賀町敏満寺
重源上人が、東大寺修復に感謝して敏満寺に贈った銅製五輪塔(鎌倉建久九年)
附紙本墨書寄進状(国指定重要文化財)
銅製五輪塔

・石仏谷(いしぼとけだに)
敏満寺青龍山の山腹斜面に中世墓群が7000uにわたってひろがっている。調査により、この石仏谷は中世の墓地が良好に残る遺跡である事が判明した。
お墓の種類は、自然石を方形あるいは円形に石組みしたように見られるもの、土を盛ったようなものなど、幾つかの種類がある。地表面には蔵骨器と見られる壷の破片や焼けた骨片が所々で露出している。また多くの石造物が残されている。石仏は千体以上を数え、他に五輪塔等多くの石仏が見られる。今も調査中である。

・石造聖観音立像(せきぞうせいかんのんりゅうぞう)
境内の観音堂(三間四面の本堂は屋根が二段の瓦葺入母屋造)にある本尊は床下から突出している自然石がそのまま彫られた高さ1.86m。この聖観音像は「聖徳太子(574〜622)が諸国巡回の時、ここで奇石をご覧になり、石造の聖観音を自作された」という言い伝えがある。
石造聖観音立像 石造聖観音立像
春・秋特別公開時のみ拝観可能(要予約 多賀観光協会まで)
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大滝神社(おおたきじんじゃ)

 社殿は寛永15年(1638)徳川三代将軍家光公の下知により、当時多賀大社、胡宮神社と共に造営された。古来、多賀大社の末社、あるいは奥宮として考えられている。
【住所】
滋賀県犬上郡多賀町富之尾
【TEL】
0749−49−0004
【アクセス】
JR川瀬駅からバス「大滝神社」下車、徒歩2分
名神彦根ICから20分
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【その他】
境内自由
大滝神社 大滝神社

・犬上神社(いぬかみじんじゃ)大滝神社境内
大滝神社の境内神社(末社) 稲依別王命が狩に出て大蛇に食われんとしたのを、その飼い犬に助けられたことから、犬を祀った神社として有名になる。
犬上神社

・大蛇の淵(だいじゃのふち)(景勝の地)大滝神社周辺
滝の宮とも言われるとおり、神社に面する犬上川の清流は約10mもの落差を流れ落ちながら、奇岩怪岩の間をうねっています。「大蛇の淵」と呼ばれる景勝の地でもあります。
大蛇の淵 大蛇の淵

・犬胴松の伝説(いぬどうまつのでんせつ)大滝神社周辺
その昔、犬上神社の祭神、稲依別王が狩に出て昼寝をしていたおりに、大蛇に頭上から狙われたが連れていた犬が主人を守ろうと吠えた声で目を覚ました。そのやかましさに思わず太刀で犬の首をはねたという。その首は大蛇の頭に噛みつき、そのまま一緒に川に落ち、大蛇は死んだ。王は命を守ってくれた忠犬の首をはねたことを悔やみ、この地に弔いの松の木を植えた。それが犬胴松の伝説として残っている。
犬胴松の伝説 犬胴松の伝説

・遊歩道(ゆうほどう)
遊歩道 遊歩道
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高源寺(こうげんじ)

 鎌倉時代に創建された寺で、もとは天台宗に属し、十福寺と呼んでいた。
近江源氏・佐々木氏の四天王の一人として活躍した楢崎氏の菩提寺として当院が創建されたたものと推定されている。織田信長によって、佐々木氏が滅亡するや楢崎氏もこの地を離れ、それ以後廃寺になった。これを再興したのが、彦根藩主井伊家の家老の脇家、宇津木家の両家。両氏の院号にちなんで、天徳山高源寺とし、臨済宗妙心寺派に属し、現在に至る。
 〔大寺院で湖東における名刹であったが、しかしながら明治9年(1876)火災により、総門だけは災を免れたものの他の伽藍はすべて灰となった。総門は、石田三成の居城であった佐和山城の裏門をうつしたものである。明治14年(明治の神仏分離令)多賀にあった正覚院、般若院、不動院を移した。
  また、茶人、井伊大老が始めたと伝えられる石州流直弼派‘一会流’の「茶筅(せん)塚」がある。塚は75センチ立方の台座の上に75センチの茶筅が置かれ、ともに御影石製。
  当院には、井伊直弼を助けた「村山たか女」の肖像画がある。「村山たか女」は、多賀大社の近くの生まれで、多賀大社境内にあった般若院に出入りをしていたころに 井伊直弼と当院で出会ったと言われている。〕
源氏物語明石之巻襖絵・地蔵菩薩半跏像など
【住所】
滋賀県犬上郡多賀町楢崎374
【TEL】
0749−49−0821
【アクセス】
JR川瀬駅からバスで「楢崎」下車、徒歩5分
名神彦根ICから15分
詳しい地図はこちら
【その他】
「村山たか女肖像画」「絹本著色源氏物語明石之巻襖絵」300円
高源寺 高源寺
高源寺 高源寺

・村山たか女肖像画   ・絹本著色源氏物語明石之巻襖絵
村山たか女肖像画   絹本著色源氏物語明石之巻襖絵
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真如寺(しんにょじ)

 浄土宗 天正年間(1573〜1591)に創建
本堂に安置されている木造阿弥陀如来坐像(重要文化財)は、明治の神仏分離によって、多賀大社不動院本地堂より移された本尊。
僧行基が諸国巡礼の切、自らの手で彫り多賀大社に納められたということです。
【住所】
滋賀県犬上郡多賀町多賀660
【TEL】
0749−48−0507
【アクセス】
近江鉄道多賀大社前駅から徒歩5分または、
JR彦根駅からバスで「多賀町役場前」下車徒歩5分
名神彦根ICから10分
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【その他】
「地獄絵図」「木造阿弥陀如来坐像」200円
真如寺 真如寺

・地獄絵図   ・木造阿弥陀如来坐像
地獄絵図   木造阿弥陀如来坐像

調宮神社(ととのみやじんじゃ)栗栖

 多賀大社のお旅所になっており、古例大祭には頭人を先頭にして行列が続き、富の木を持ち帰る儀式がある。
飛の木 神社東方の4株が寄り集まったカツラの木を称する。多賀大社創始にまつわる縁起がある。今も多賀大社古例大祭には「富の木渡し」という重要な神事に使用される。
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調宮神社 調宮神社

金蓮寺(こんれんじ)

 境内には溶岩流によってできた珍しい「へび石」があり、一年中絶えることのない清らかな水がとうとうと流れている。
【住所】
多賀町大杉
【アクセス】
JR川瀬駅よりバス35分(大杉口徒歩5分)
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金蓮寺 金蓮寺
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延命地蔵尊(えんめいじぞうそん)

 地蔵尊は、古くから地蔵信仰の場で、多賀大社参拝の人も立ち寄っている。
本堂は、中央に本尊地蔵菩薩を安置し、左側に閻魔大王を中心にして、罪を記録するという倶生神・司録神・浄玻梨を配して地獄の場面を現し、右側に地獄の苦を救う千手千眼自在菩薩を配している。本堂前には、半跏地蔵菩薩・来迎尊仏を置く。
【住所】
多賀町多賀
【アクセス】
近江鉄道多賀大社前駅から徒歩3分または、
JR彦根駅からバスで「多賀町役場前」下車徒歩8分
名神彦根ICから10分
詳しい地図はこちら

延命地蔵尊 延命地蔵尊

乳地蔵(ちちじぞう)保月地先

 関ヶ原合戦の最中、的中突破によって国元へ引き返した島津義弘に縁の地蔵。乳ばれや乳の出にくい女性にご利益があるという。
乳地蔵 乳地蔵

安養寺(あんようじ) 多賀町多賀

 文和年中、京都青蓮院慈能により再興、寛永年中、尊勝院慈性により中興。明治維新の際、多賀大社内観音院の仏像を受けつぐ。明治21年、尊勝院末寺の正覚院と合併、昭和8年、日向神社の正門を移築。平成元年5月、堂宇前面改築。
  懸仏 阿弥陀三尊像(町指定文化財)
安養寺 安養寺
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瑞光寺(ずいこうじ) 多賀町富之尾

 本尊地蔵菩薩は僧行基の彫られた仏像。木中地蔵と呼ばれ、ご開帳は毎年8月24日。湖北の木之本地蔵とともに霊験あらたかな地蔵として有名。
木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代)(町指定文化財)
瑞光寺 瑞光寺

称名寺(しょうみょうじ) 多賀町土田

彦根市来迎寺の隠居寺として創立。
木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)(町指定文化財)
称名寺 称名寺

専行寺(せんぎょうじ) 多賀町土田

 馬場若狭守頼忠(浅井亮政家臣)は当地に授真坊を建立する。寛永14年善可・良如に帰依し真宗に改宗。木仏本山から下付。元禄2年寺号許可。寛政のころ本堂焼失。文政2年多賀成就院の門を移築。
  金銅装笈(室町時代)(町指定文化財)
専行寺 専行寺
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西徳寺(さいとくじ) 多賀町多賀

 承和二年法相宗から天台宗に改宗。建長七年親鸞聖人三日間滞在。永正二年浄土真宗に改宗。元亀元年織田浅井の兵火により焼失。元亀四年顕如の命を受け、僧證慈門徒760人をもって石山合戦に参加し討ち死に。
西徳寺 西徳寺

正覚寺(しょうがくじ) 多賀町敏満寺

 元禄二年天桂により椿坂に草庵を結ぶ。享保15年第4世蘭州の時、椿坂から、現在地移転南嶺(永源寺86世)を請じて開山とする。
正覚寺 正覚寺

西琳寺(さいりんじ) 多賀町富之尾

 江東観音三十三ヶ所霊場中第22番の札所。本尊千手千眼大悲菩薩は往古、湖水中からの出現とされている。
西琳寺 西琳寺
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鞍掛地蔵(くらかけじぞう) 多賀町大君ヶ畑

鞍掛峠に鎮座し、通行の人々や登山の人たちの安全を守る、といわれている。
鞍掛地蔵 鞍掛地蔵

西音寺(さいおんじ) 多賀町中川原

 もと三光院と称し天台宗敏満寺の一坊。親鸞の教化により改宗。寺内に親鸞手植えと伝える八ッ房の梅あり。本堂は戦国の兵火にかかり現在の建物は4度目のもの。
西音寺 西音寺

藤地蔵尊(ふじじぞうそん) 多賀町藤瀬

県道226号沿いにあります。
藤地蔵尊 藤地蔵尊
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