仏閣

高源寺

鎌倉時代に創建された寺で、もとは天台宗に属し、十福寺と呼んでいた。
近江源氏・佐々木氏の四天王の一人として活躍した楢崎氏の菩提寺として当院が創建されたたものと推定されている。織田信長によって、佐々木氏が滅亡するや楢崎氏もこの地を離れ、それ以後廃寺になった。これを再興したのが、彦根藩主井伊家の家老の脇家、宇津木家の両家。両氏の院号にちなんで、天徳山高源寺とし、臨済宗妙心寺派に属し、現在に至る。
〔大寺院で湖東における名刹であったが、しかしながら明治9年(1876)火災により、総門だけは災を免れたものの他の伽藍はすべて灰となった。総門は、石田三成の居城であった佐和山城の裏門をうつしたものである。明治14年(明治の神仏分離令)多賀にあった正覚院、般若院、不動院を移した。
また、茶人、井伊大老が始めたと伝えられる石州流直弼派'一会流'の「茶筅(せん)塚」がある。塚は75センチ立方の台座の上に75センチの茶筅が置かれ、ともに御影石製。
当院には、井伊直弼を助けた「村山たか女」の肖像画がある。「村山たか女」は、多賀大社の近くの生まれで、多賀大社境内にあった般若院に出入りをしていたころに 井伊直弼と当院で出会ったと言われている。〕
源氏物語明石之巻襖絵・地蔵菩薩半跏像など

高源寺
高源寺
住所 滋賀県犬上郡多賀町楢崎374
TEL 0749-49-0821
アクセス 名神彦根ICから約15分
JR河瀬駅から湖国バス甲良線楢崎下車徒歩5分
その他
境内
高源寺境内高源寺境内
村山たか女肖像画、絹本著色源氏物語明石之巻襖絵
村山たか女肖像画絹本著色源氏物語明石之巻襖絵